『花の寺 光則寺』
光則寺は、江ノ電「長谷駅」徒歩7分、長谷駅を出て大仏通りを北上し、「長谷観音前」信号を過ぎ最初の路地を左(西)に入ってゆるやかな坂を上った突き当たりにあります。
光則寺は、日蓮上人が佐渡から放免後の1274年(文永11年)に、鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則(やどやさえもんい みつのり)が、自邸を寄進し、日蓮上人の高弟・日朗(にちろう)を開山と仰ぎ、創建した日蓮宗の寺院です。
瑞泉寺や海蔵寺と共に鎌倉有数の「花の寺」として知られ、樹齢200年といわれる本堂前の海棠(カイドウ)の古木や、境内一杯に並んだ200種類600鉢に及ぶ日本全国の多彩な紫陽花(アジサイ)の鉢など、四季折々の花が境内を彩っています。
境内には、珍しいウサギゴケの鉢もあり、とても小さく素朴な花ですが可憐でよく見るとひとつひとつがウサギの形をして、境内を探して見つけると思わず笑顔になります。
ウサギゴケは紫陽花が咲く5月末から6月にかけてが見頃です。
本堂の左手には池があり、周りの季節の花や木々を楽しむことができます。
庫裏の右手から、山の中に向かう石段があります。途中には、日蓮に帰依した宿谷光則の墓があり、その奥の開けたところに、洞窟があり、石碑も立っています。
洞窟は、日蓮聖人が佐渡へ流された際に弟子の日朗上人を幽閉した土牢です。
1271年(文永8年)日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の邸内の土牢に監禁されました。
しかし光則は日蓮上人が自らの不運を嘆くことなく、弟子の身の上を案じる心に打たれ、次第に日蓮宗に心を寄せる様になり、日蓮上人放免後は、邸を寺として日朗を開山と仰ぎ1274年(文永11年)に創建されました。
日蓮上人の著した「立正安国論」は、光則の父・行時から、文永元年(1260)に北条時頼に建白されました。現在の本堂は1650年(慶安3年)に建てられました。
光則寺
〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷3-9-7
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