『鎌倉長谷 旧山本条太郎別荘』

 

1.門


2.門正面 国登録有形文化財

3.門右斜めから

4.門から玄関アプローチ

5.玄関外観近景

6.玄関外観欄間 亀甲文様、恐らく山本家の家紋では

7.全景航空写真 母屋は国登録有形文化財

8.平面図

9.玄関内部

10.主廊下

11.主廊下天井

12.客間上座

13.客間床の間

14.客間下座

15.客間天井欄間 

16. 客間欄間の模様は表千家「残月亭」の「踊り桐」の写し

17.客間からの由比ヶ浜の眺め

18.由比ヶ浜の眺め

19.客間縁側欄間

20.客間縁側

21.客間縁側天井

22.南側外観

23.客間銅製照明 笠は銅製で鈴虫も配されています

24.客間襖絵。鹿が配された鹿草木夾纈(しかくさききょうけち)という正倉院紋や吉祥文様

25.廊下襖絵。光琳蝙蝠桐(こうりんこうもりぎり)

26.客間窓から居間側を見る

27.山本条太郎居間:書院造り)

28.茶室(広間)「無畏庵」床の間

29.茶室(小間)外観 昭和31年(九鬼邸期)に母屋に増築された

30.茶室(小間)待合所 国登録有形文化財

31.茶室(小間)待合所塀 練塀 国登録有形文化財

32.茶室(小間)待合所塀 練塀

33.茶室(小間)にじり口

34.茶室(小間)床の間

35.女中部屋廊下のセントラルヒーティング吹き出し口。上部は元電話機設置板。



『旧山本条太郎 別荘』


旧山本条太郎別荘は江ノ電長谷駅から北西方向、徒歩8分、海抜40メートルの高台に位置しています。

駅前から大仏通りを北上して長谷大仏「高徳院」の少し手前を左に入って数分の鎌倉能舞台もある谷戸(やと)、長谷桑ケ谷(はせ くわがやつ)にあります。


現在は、宗教法人「神霊教」の鎌倉錬成場で、年に一回秋に数日間のみ一般公開されています。


旧山本条太郎別荘は、明治大正期に実業家として活躍した山本条太郎によって建設された建物です。


建物は、木造平屋建、桟瓦葺、設計は笛吹嘉三郎(うすいきさぶろう)で、国登録有形文化財(平成28年11月29日)です。


大正7年(1918)に山本条太郎(1867年〜1936年)が別荘として建設した近代の数寄屋建築です。当初の敷地は10000坪を超え、現在でも約5000坪の敷地が残されています。


建物は、複数の棟から構成され、崖線に沿って雁行型に並びます。表玄関を崖下1階に、他は崖上の2階に配しています。居間は懸造風に張り出すなど、敷地の高低差・形状を巧みに活かした配置を採っています。


玄関は、柱や長押、桁に磨き丸太を多用し、天井は網代や蒲の蓆(むしろ)天井、竹張りの建具など侘びた意匠です。1間幅の階段で客間に至ります。

階段を上りきると長い廊下が続き建物の奥行きを感じられます。天井は船底天井で、桁は栗材を使用し、なぐり(鉈・なたで不規則な刻みを入れる)仕上げを施しています。


母屋は高台のしかも2階にある為、客間の縁側からは、相模湾、由比ヶ浜や逗子・葉山の山並みが眺望できます。

庭には100種類の草木、1000本程の樹木があり、紅葉は京都から取り寄せたと言われています。

建物は、関東大震災の揺れにも耐え損傷はありませんでした。


昭和31年(1956)に土地の一部を残し、土地・建物は九鬼悠巌(くきゆうよし)氏に譲渡され、その頃に北東端の茶室・寄付は増築されました。


昭和57年(1982)には、現在の所有者である宗教法人神霊教の鎌倉錬成場「霊源閣」として使用されています。


山本条太郎は、明治14年(1881)より三井物産に勤務、明治22年(1889)には上海支店に赴任し、明治41年(1908)に東京本社理事になるまで上海で勤務したことから、三井物産きっての中国通として知られた人物です。


大正時代には、実業家に転身し、鉱山・電力・繊維事業等に関わる一方、政治家となり、後には南満洲鉄道株式会社総裁を務めました。


山本条太郎の鎌倉別荘の敷地は、当初実業家の原亮三郎(はらりょうさぶろう)氏が所有していた土地で、原は山本条太郎の妻・操の実父であり、明治38年(1905)に娘の操に譲渡され、大正7年(1918)に別荘を構えました。設計者は棟札より、笛吹嘉三郎(うすいきさぶろう)とされ、表千家「残月亭」を意識した意匠を見せるなど、上質な近代数寄屋建築です。


関東大震災(1923年・大正12年)以前の数寄屋造建築の希少な現存例です。

公私の空間や裏方まで全体が残っていて、改造も少なく往時の生活像が良く分かります。

良材をふんだんに用いて造作も丁寧かつ繊細です。

京風数奇屋の志向が強く、奇をてらうのではなく品の良い端正な意匠が見られます。

柱や長押は北山杉の丸太材で、縁側の長押は最大で2.5間(4.5メートル)の長尺で希少な材料を使用しています。柱の建具が接する面は面取りされ、丸太の長押の入隅部は精緻に加工取り付けされています。

襖の唐紙は全て特注で、鹿が配された鹿草木夾纈(しかくさききょうけち)という正倉院紋や吉祥文様や、光琳蝙蝠桐(こうりんこうもりぎり)などが見られます。


建物は、残っている作品が極めて少ない笛吹嘉三郎の希少な現存作品で、表千家の意匠・作風を色濃く反映しています。

客間の欄間の模様は表千家「残月亭」の「踊り桐」の写しです。柱は全て北山杉の丸太材ですが、一転、床の間の床柱だけは杉の角柱で、床脇に1畳分の掛込天井の脇座を設けている点も「残月亭」を意識しています。


縁側などに当時の生産技術では最大であったろう大型硝子を使用するなど、伝統的でありながら近代らしい造形と趣向を備えています。

建物全体は近代数寄屋造りですが、山本条太郎が居住した居間だけは、書院造りです。

古社寺の礎石を庭石に転用するなど近代らしい好みが見られます。

客間の照明器具の笠は銅製で、ところどころにやはり銅製の鈴虫が配されてユーモアのセンスも垣間見られます。

窓、縁側の配置により谷下から客間、建物内に風を導く工夫もなされています。

各室、廊下、全館にセントラルヒーティングが完備され、随所に現代和室でも見られるような格子戸がはめ込まれた送風口が設置されています。


茶室(広間)「無畏庵」は2方向が障子戸で開放的。柱はこぶしの面皮柱で茶室の定番です。


登録有形文化財

1. 母屋(霊源閣)

2.

3. 茶室の待合

4. 練塀

以上出典:東海大学建築学科小沢朝江教授の資料


■神奈川県が主催する、地域の歴史・文化を育み、人々の心に残る風景をかたちづくってきた邸園等を、内外からの来訪者と地域住民による多彩な交流の場として保全活用し、新しい湘南文化を創造し発信することを目的とする「湘南邸園文化祭」では11月の第3土曜日を中心に旧山本条太郎邸の一般公開を実施しています。


■明治大正期の元勲や政治家、実業家の邸宅、別荘について

東京の文京区関口にある敷地面積15000坪(50000平方メートル)の広大な庭園を有するホテル椿山荘は、明治11年に、元帥陸軍大将にして第3代・9代内閣総理大臣の山縣有朋(1838年〜1922年)が、土地を私財を投じて購入し、邸宅と庭園を築き「椿山荘」と命名しました。

山本条太郎も明治大正に政治家、実業家、南満洲鉄道株式会社総裁を歴任しました。

明治・大正期には、東京都内、湘南に、政治家、実業家の豪奢な邸宅や別荘が多く建築されました。

当時の元勲や政治家、実業家は、今では想像できない途方もない蓄財ができたに違いありません。


住所:鎌倉市長谷3丁目598

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